いつも色んなネタやニュースで楽しませて戴いているAZOZ BLOG様からの記事。
32歳の男性がチェーンソーで喉を切って自殺を試みたところ、頸部(咽喉部)動脈切断に失敗したあげく、チェーンソーの刃が骨に当たりストップしてしまったため最後まで切ることができず、結局死にきれなかったという事件がチェコで起こった。
…詳しい事は、AZOZ BLOGさんで書かれているので、興味のある方は是非そちらへ。
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この男性、以前も自殺をして、結局未遂に終わって、今回のチェーンソー自殺に至ったらしい。
2度の自殺の失敗。
3度目はあるのか?
果たして、3度目の正直なるか、それとも2度ある事は3度あると言うのか…。
私は自殺を悪だとは思っていない。
こんな複雑な世の中、死んだ方がマシだと思う人がいても何ら不思議はないもの。
だから、物凄く不謹慎な言い方かもしれないけど、死にたきゃ死ねばいい。
でも、自殺するんなら、人様に迷惑をかけない方法でやれ、と言いたい。
列車や走っている車に飛び込むとか、そう言った類ではなく、
首吊りとか、農薬を飲むとか(笑)、自分一人で死ねる方法でね。
入水自殺等もあるけど、あれは捜索する方が大変だからやめた方がいいわね。
樹海等や冬山等に行って人知れず死ぬ方法もアリだけど、
生きているのか死んでるのかも解らない行方不明状態じゃ、
周りも心配するだろうし、諦めもつかないし、これまた捜索は大変。
それから最近流行りの(?)集団自殺。
車の排ガスを引いて、密閉した場所で練炭を燃やして一酸化炭素中毒死というのもあるけど、集団でってのがいただけない。
何で死ぬのにまで仲間を求めるの?
周りを信用できなくなるほど苦しむから自殺するんでしょ?
なのに、何でそう言う仲間がほしいわけ?
まあね、周りの無責任な人間は言うでしょ。
「死ぬ気になれば何でもできる」
「自殺する勇気があるんなら、どうして問題に立ち向わないのか」
って。
人の苦しみや辛さを理解できない周りの人間はそう言う無責任なことばっかり言う。
私も、自殺を失敗している人間なので(事実)、
自殺したい人の気持ちはわかるし、止めるつもりはない。
私は、怖くなって辞めただけの話であって、単なる小心者だから
直前になってそれをできなくなった。詳しくは第2章、2003年9月18日「暗い夜の思い出」にて
でもさ。
周りの無責任なだけの言葉を聞くと、正直ムカッとするわ。
「死ぬ気になれば何でもできる」
「自殺する勇気があるんなら、どうして問題に立ち向わないのか」
そりゃ、周りの人間にとってはそうだろうね。
でも、そう言う事を考えられない精神状態にまで追い詰められていて
問題に立ち向えるほどの気力も残らないほど疲れ果てている本人にとっては本当に辛い言葉。
私はいつも言っているんだけど、死ぬのは勇気なんかじゃない。
死のうとして死ぬわけじゃない。
自殺する人にはこれから死にますって宣言して、死ねるだけの精神状態は残っていないんだから。
遺書は遺せるけれど、これも惰性みたいなもの。
遺書を書いているうちにふとわれに返って自殺を止める事はあるけど、
それでも、勇気で死ぬんじゃない。
もう、自殺をする人の精神状態はあちらの世界に行っちゃってるの。
だから、何を言っても無駄。
そんな人間に今更「頑張れ」だなんて、後押しするのと同じよ。
それは、鬱の人間に「頑張れ」と言っちゃいけないのと同じ。
頑張って頑張って頑張ってもどうにもならなかったのに、
これ以上頑張れというのは、その人を追い詰めることになるから。
自殺も、それと似ている。鬱の回復期が一番自殺率が高いのとは関係ないよ
自殺する人は弱いという世間一般の考えは私は否定する。
それは、そこに到達するまでにどんな苦しみや辛さがあったかも知らない、
無責任で非情な一般人の言っている戯言だから。
自殺は、容認はしないけど、否定もしない。
したい人はすればいいって言うのが私の考え。
あ、ちなみに私がしょっちゅうやっているリスカじゃ死ねませんのであしからず(爆)。
まあ、リスカを繰り返す事によって出血を繰り返し、それで心臓が段々弱っていくと言う諸説はあるけど。
リスカは私の逃げ道だから、辞めるつもりはないけど(爆)。

